「涼子ちゃん、大丈夫?」
「…怜…怜…」
 うわごとのように怜の名を呼ぶ涼子の手を握って、怜はオロオロした。どうしよう、このまま死んでしまうのではないだろうか。
 百合香が冷たい水で絞ったタオルを持ってきて涼子の額に乗せた。
「可哀想に…涼子さん。百合香にあんなに優しくしてくれたのに…」
 また泣きそうな顔で百合香は涼子を見ている。そばに立っている天海も心配そうに涼子を見ていた。
「どう?電話は繋がった?」
 そこへロドニーが黒崎を連れて入って来た。ギョッとしたような顔で百合香と怜は黒崎を見た。
「マ、ママ…」
「さ、貴方はそこに座って」
 ロドニーは黒崎に部屋の隅にある椅子に座るように言った。
「ママ、あいつは…」
「あ、あの…」
 怜と百合香が黒崎とロドニーの顔を交互に見ながら訴えようとするのをロドニーは無視した。不本意なのは黒崎も同じだった。いきなりこんな所へ連れて来られて場違いもいいところだ。
「俺は失礼しますよ」
 出て行こうとした黒崎に、
「お座んなさいっ!」
 ロドニーの野太い怒声が一喝した。
「貴方にはこの一部始終を見届ける義務があるわ」
「は?何で俺が──」
「いいから黙ってお座りなさい!」
 もう一度一喝されて、黒崎は渋々椅子に座った。百合香が泣きそうな顔で黒崎を見たが、目が合うとすぐに逸らした。黒崎の胸に昔感じた事のある痛みがチクリと突き刺さった。
 ここにいるのはまずい。黒崎は居心地の悪さに立ち去ろうと試みるが、その度にロドニーに睨み付けられて留まるしかなかった。なんで俺が…。不本意さは目いっぱい感じていたが、心のどこかでは何が何でも嫌だと思っていない自分がいるのも事実だった。ここは…優しい気が溢れている。人間らしい暖かな心が──。
 怜は最初、黒崎と百合香を鉢合わせさせるのは百合香には酷だと思ったが、事情を知るロドニーがこの状況を作ったという事は何か意図があるのだろうと察し、それからはもう黒崎を無視し涼子の看病に徹することにした。
「怜…ごめんね…迷惑かけて…」
 苦しそうに謝る涼子の手を怜は強く握りしめた。
「病院は?まだ繋がらない?」
「さっきからずっとかけてますが…ダメです」
 百合香の手にはロドニーの携帯が握られていた。百合香はまだ携帯の電源を切ったままなのだ。黒崎の胸がまたひとつ、チクリと痛む。この子はこの状況の中で人の心配をしている場合ではないんじゃないのか?
 おそらく明日には全国のワイドショーで父親の汚職事件が取り上げられ、日本中のさらし者にされるかも知れないと言うのに。
「涼子さん、冷たいお水を」
 百合香が涼子の口に水を近づけるが、涼子は首を振った。どうしよう…このままでは本当に涼子は危ないのでは…。みんながそう思った時、
「…氷を」
 黒崎が小さく呟いた。皆が一斉に黒崎を見る。黒崎はちょっとバツの悪そうな顔で、
「氷をビニール袋に入れてタオルに包んで。それを四つ用意して」
「お前、何を──」
 怜が黒崎に問う前に、ロドニーが携帯に向かって「純、氷を持ってきて頂戴!ビニール袋とタオルもよ。四枚づつね!」と怒鳴った。
「後、ウィスキーと熱湯、レモンと蜂蜜も」
「わかったわ」
 黒崎の言葉にロドニーはすぐさま動く。全ての材料を揃えると、黒崎に「それから?」と指示を仰ぐ。怜はその様子を不思議な想いで見ていた。何なんだ?こいつ。なんでこんなことを知ってるんだ?
 黒崎はロドニーにホットトディの作り方を教える。ヨーロッパの民間療法で急な発熱の時によく効くとされている飲み物だ。
「できたわ」
「少しづつ飲ませて」
「わかった」
 ロドニーは涼子をガシッと抱き起し、口のはたにコップを持って行くが、熱い飲み物なのでなかなかうまく飲ませられない。黒崎は「計量カップはないか」と聞いた。
「ないわ」
 ロドニーが答えると、黒崎はチッと舌を打つとじれったいようにジャケットを脱ぎ捨てた。
「代わって」
 ロドニーに代われと言うと、黒崎は涼子をそっと抱き起こした。怜は驚いた。黒崎が女を…看病している──。
 黒崎は広い胸にぐったりした涼子を抱き寄せると、指でほんの少しトディをつけて唇を濡らしてやった。涼子はピチャピチャと唇を動かすと、自ら小さく唇を開いた。黒崎はその唇の隙間に少しづつコップを傾けてトディを飲ませてやる。涼子は美味しそうにコクン、コクンと飲んだ。そこにいる全員がかたずをのんでその様子を見守っていた。
「持ってきました」
 純が氷の入ったバケツとビニール袋、タオルを持って来た。黒崎はそれで簡易の氷嚢を作るように言った。そして涼子をそっと寝かせると、両脇の下と、足の裏に氷嚢を当て、タオルで固定した。
 涼子はさっきよりもずいぶん楽そうな顔でスースーと寝息を立て始めた。念のため涼子の口の中を覗くと喉が赤く腫れていた。やっぱりただの風邪のようだ。黒崎はホッとした。そこでハッと我に返ったら、まわりのみんなが驚いた顔で自分を見ていた。しまった、つい…。黒崎が何ともバツの悪さを感じていると、
「お見事。さすが元お医者様の卵ね」
 ロドニーが拍手した。
「い、医者?黒崎が?!」
 怜は驚いて大声を出してしまった。百合香も驚いている。勿論天海もだ。黒崎は観念したようにロドニーを見た。
「オーナーから情報は入手済み…か」
「オホホホ。そう、あたしたち、オホモだちだから」
 ロドニーが高らかに笑った。無論黒崎はそんな事西島に話した覚えはなく、彼の闇の情報網からのリークに違いなかった。
「でもさすがね。昔取ったナントカって言うけれど、やっぱり素人ではこうはいかなかったわ」
 スースーと寝息を立てる涼子を見ながら、ロドニーは感心したように言った。黒崎は驚きを隠せない顔で見つめている怜に、
「何だよ、そんなに驚くことか」
 とバツが悪そうに吐き捨てた。
「いや、お前…なんていうか…」
 言葉に詰まったが、怜は素直に「ありがとな、黒崎」と頭を下げた。
「俺は別に…」
「あたしからもお礼を言うわ、黒崎さん。ありがとね、私の大事な怜のお客様を救ってくれて」
 ロドニーが目を伏せる。黒崎はいたたまれなくなって、
「もう用は済んだよな。俺は帰らせてもらうから」
 くるりと踵を返した。その時、目の前にいた百合香と目が合った。思わずどきりとする。百合香も驚いたような顔で黒崎を見上げ、目を潤ませていた。謝るべきか、慰めてやるべきなのか黒崎は一瞬だが逡巡した。だがそんな自分が何だか怖くなって、目を逸らしてしまった。こんなのは俺じゃない。俺は根っからの腐り切った悪党だ。でなければ…自分自身を保てなくなってしまう。
 女を、人生を憎むことでどうにか均衡を保ってきた精神が、迷い揺れることが黒崎は嫌だった。人間らしい心を捨て去ったから、どうにか生きてこれたのだ。再び「人間」に戻ってあんな風に傷つくのはもうごめんだ。
 迷いを捨て去るように、部屋を出て行こうとした時、
「キャーーーっ!ちょっと誰よ、あんたたち!」
 店の方から叫び声が聞こえてきた。

                                      



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